株式会社エデューレエルシーエー

EDURE GROUP

学園長ブログ

学園長ブログ

国語の受験問題を解けることが読解力だと思っていると・・・

2021.01.02

 池上彰氏の「なぜ読解力が必要なのか?」を読んでいて、国語の読解問題コンプレックスだった自分を思い出していた。

 受験問題の選択肢で選ぶ問題に答えると間違えることが非常に多かった。なぜ自分の選んだ答えが違うのか明確に説明されることも無かったので、モヤモヤしながらコンプレックスに陥っていった。

 参考書や受験の教材を読むと、問題の作者が何を聞きたいのか、その意図を把握して答えることがコツだと書いてあった。そうか、そういうことかとその時は納得したように思う。

選択肢ならまだしも自由記述問題や小論文でも出題者が何を求めているかを忖度して書くと合格に結び付くというのだ。いわゆる優等生的な事を書けば合格、あまりにユニークだと出題者の意図と違い不合格になる。

 私はテストの点数は取れなかったが、問題文とは格闘していたと思う。だから読むのにも時間がかかり得点はとれなかった。しかし受験問題になる文は内容的に面白い名文だったので、面白かったし、身になったと思う。

 読む速さが遅いのもコンプレックスだったが、最近は熟読が大切という記述に多く出合う。速読では内容と格闘できるはずがない。熟読をたくさんする中で読む速度が速くなっていく程度が良いのだろう。

 もちろん文章の種類によって、また仕事上短時間でたくさんの文章を読む必要のある人には速読も必要だろう。

 本当に価値のある深い会話を日常的にすることは難しいだろうから、読書を通して人の考えと格闘することは、人間力をつける上で必要なことだろう。

「忖度」なく読み、書くことが本当の学力であり、社会で働く上で大切であることは確かだ。