学園長ブログ
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生き方科 18 「正しいことを言う時は要注意」
新型コロナウィルスの感染で自粛要請がでていた4月下旬に千葉県の駄菓子屋に「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」という張り紙が貼られました。このような行為に対して自粛警察と言葉が生まれました。
このニュースを聞いた時、戦時中の「非国民」という言葉が頭に浮かびました。戦時中、国の方針に少しでも反する行為をする者に対して使われた言葉です。
同じく正義を後ろ盾に相手を攻撃する行為です。道徳的に正しいことを言われると人は反論できません。
今日の日経新聞に「コロナ危機で問われる『言葉』」というタイトルの記事が載っていました。その中で危機が道徳的な言葉、情緒的な言辞を生むのは今に始まったことではない。かつて日本が戦争の泥沼に入り込んでいくころ、「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、かつまでは」などの標語が量産され人々の脳裏にやきついた。そうなると、むしろ大衆の側からこそ、ボルテージが上がる。三國一朗氏の戦中用語集によると「欲しがりません、かつまでは」では足りず「欲しがりませんどこまでも」と投書があったというような内容でした。
筆者も私と同じように戦時中のことが脳裏をよぎったのですね。
「正義」とは相手も含めた社会の正義でなければなりません。正義を利用して相手を攻撃するのはもっての外ですね。
戦時中やコロナウィルスの感染に関わることだけでなく、日常にも言えることがあります。
道徳的に正しいことや、確かにある相手が反論できない欠点を利用して相手をやり込めてしまうこと、よく見聞きしますよね。
そんなことをしても相手が良い方向には変わる筈がありません。ただ相手を傷つけ、相手の心が離れていくだけです。
「正しいことを言う時は要注意」なのです。本当に相手に何かを伝えたいなら、これでもかと正しいことを浴びせるのではなく、相手の気持ちを聞きながら相手が話せて良かったと思えるようにコミュニケーションをすすめなければなりません。
自分が正しいことを相手に言って説得しようとしていると気づいたら、一息ついて、何のために話をしているかを確かめましょう。間違っても自分の自己満足や保身であってはならないのです。