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学園長ブログ

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「普通がいいという病」を読んで

2013.04.15

乙武さんが勧めている泉谷閑示著「普通がいいという病」を読んだ。

ルソーの「エミール」、親鸞の「歎異抄」など様々な人の考えを簡単に紹介しながら、「普通」にとらわれずに本来の自分を生きることを説いている。

自由に生きることは、マイノリティーとして一人小路を行く生き方であり、普通に生きることはマジョリティーとして、本来の自分の声を抑え世間に合わせて生きていく生き方であると言っている。

本来の自分が求めていることをしながら生きられれば良いのだが、それは勇気のいることでなかなかできない。だから無難な「普通」の生き方をするのだが、本来の自分は押し殺されて苦しんでいる。自分を解放して生きることが出来ればよいのだが、どうすればよいのだろう。

「やりたいこと」にも単なる欲望から人々のためになる欲求もある。やりたいことが、経験と思考を通して深められ、普遍的な欲求に変われば、やりたいことをやりながら、社会のためになる生き方ができる。

第一歩は、普通に合わせて生きることではなく、本来の自分が何をしたいのかを知り、それを行動に移してみることから始まるのだろう。

マジョリティーとマイノリティーについてエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」のエッセンスを次のように紹介している。

『自由というものは、何の指針もなければ、その小径が正しいのかと問われても答えようがないもので、自分の判断以外に当てにできるものはない。マニュアルもなければ他人との比較もできないし前例すらない。これが自由ということの大変さなのです。そして、多くの人はこのリスクが怖くてしょうがない。それに比べて、大通りは不自由だけど安全。これが、人々を大通りに強くひきつけている最大に理由であるということなのです。

大通りの人たちは、必ず徒党を組みます。彼らは、内に不自然さ、窮屈さを無意識的に抱えているので、どうにかしてそれを打ち消しておく必要がある。そうでなければ、自分たちの大通りが間違った道であることがバレテしまう。打ち消すには、井戸端会議的に徒党を組むのが一番手っ取り早い。「ね、そうよね。私たちは正しいわよね。あの人はちょっと変よね」というようなことを言って大通りを外れた人のゴシップをネタに、自分たちを正当化して安心しようとする訳です・・・・・』

いじめの根っこもこんなところにあると思いますよね!

とても読みやすい本で、読む価値のある本です。